しゃおめいの”無邪気でいたい”

台湾から帰国して、再び日本社会で生きる!癌克服回顧録から地方移住までの記録

私、癌でした。〜あれから4年、元気です!〜 <病院決定と主治医との出会い>

とりあえず大学病院を後にして、付き添いで来てもらった2人の友人と一緒に、

病院近くのパスタ屋へ行って、作戦会議をしました。

 

私の場合、少し特殊かもしれませんが、3つの病院から選んで癌治療生活に入ることになりました。

 

①A大学病院:家からすぐ近く、まだ主治医と会っていない、建物が古い

②B大学病院:電車で40分ほど乗り換えなし、誤診した病院、信頼できる漢方医の紹介、建物が新しい

③がんセンター:家から1時間以上、電車とバス乗り継ぎ、遠い、社長のオススメ、医療コンサル紹介

 

まず、今日最初から③がんセンターの選択はありませんでした。

理由は、家から遠いし、通いづらい。

それに癌患者ばかりの病院で気が滅入りそうだと思ったからです。

 

残るは2つの大学病院

まずは友人に病院と、先程話した内科医と、内科医の話の感想を聞きました。

友人の印象は良かったようです。話しやすいし、病院も新しい、特に悪くないということ。

 

話していくうちに焦点は、医療技術や医療設備よりも、

退院した後のイメージ、つまり通いやすいかどうか、アフターフォローがどうか

友人の1人は大学名で病院の判断も考慮していたけど、

私は昔から大学名に左右されないので、あまり選択する条件にはなりませんでした。

医療設備投資面や医療実績は一応割と調べて公表されている情報の範疇で比べたけどあまり変わらなかった。

 

結局、午前中に内科医と話した、誤診したB大学病院に決定しました。

決め手は、

○今までの経緯もある

○話が早い、すぐに入院手配や、検査が進められる

○家から離れるが乗り換えなしで通える

○退院後、漢方医のアフターフォローもスムーズに受けられる

○病院が新しい

 

入退院を繰り返しました(2度入院した)が、

4年経った今でもこの選択は間違っていなかったと思っています。

 

病院が新しい建物というのは、本当に重要条件でした。

術後、痛みで手すりに這って歩いたことも何度かあって、

トイレになだれ込んだことも何度もあります。

その度に新しい施設でよかった!と本当に思いました。

 

あと通いやすさと、漢方医のアフターフォローも結構重要でした。

事実、退院して数ヶ月後から漢方内科に通い出しましたが、

私の病状や治療の資料が漢方医の元へ届けられ、報告されていました。

これはもちろん、大学病院の紹介元だからだと思いますが、

それと誤診した流れの中で、名誉挽回したい内科医の気持ちもあったのではと思います。

実際漢方医もこの詳細な資料と説明に驚いていました。

 

ただ通いやすさ面は、家から近ければ近いほどいいと思います。

特に私は消化器疾患なので、検査するには絶食したり、胃や腸を空っぽにせねばならず、

通院の電車の中で、急にトイレへ行かなければいけなくなる不安は、毎回検査の度に今でも味わいます。

いざ入院、手術となると本当に気も動転して手っ取り早く、流れのままに決めることがほとんどだと思いますが、

自分の体、いのちは自分でしか守れないと思いますので、納得した選択をするべきだと思います。

 

さて、その後また友人と一緒に午前中の病院へ戻り、

あの内科医に「こちらにお願いしたい」と伝えました。

すると「外科医の先生は今まだオペだからちょっと待ってもらえる?」と言われて、

外科医を待ちました。

 

しばらくすると、名前を呼ばれて、診察室に入ると、

全身灰色に身を包んだ厳しそうな真面目そうな先生がいました。

よく言えば、職人のオーラ漂う先生でした。

 

「私も今手術終わってすぐ来たところなので、

よく話がわかっていないのですが、要するにうちで治療するということでいいのかな?」

と言われ、

「はい、本来この時間に別の病院にかかる予定でしたが、こちらの病院にお願いしたいです。」

と言って、元々A病院用に作成された胃腸科クリニックの紹介状を差し出すと、

先生は「開けていいんだね?」と再確認して、他の医師の名前が書いてある封筒をおもむろに開けました。

 

あの胃腸科クリニック、紹介状をもう1通作ってくれとお願いしたのに、お金も同等払ったのに、

まるで簡易版と正式版のような、素人が見ても雲泥の差だとわかる歴然とした資料内容の差でした。

簡易版じゃあ、何も治療できないくらいお粗末なもの!本当に後味の悪いクリニックの医師です。

 

正式版の資料を職人オーラの先生が見て、

「うーん、これじゃあよく見えないんだよなー。もうこの先にいけないって言ってましたか?」

といろいろ資料を見ながら質問されて、

「もしうちに入院したら、もう少し検査を受けてもらって、治療方針を決めます。この後に今日できる検査をやって帰ってもらって、あとは後日入院の手続きをしてもらうけど、手術は早くて2、3週間後になります。

来週から全国の消化器の医師が会議で集まるので、どこの病院も手術はそのくらいになります。」

と言われました。

 

え?2、3週間後?そんなに待って大丈夫なの?!

その間にもっと進行して、他に転移したら...

一気に不安が押し寄せてくる。

 

「でももう腸管塞ぎそうだから、自分で食事コントロールできるなら、来月入院でもいいけど、

まあ痛みもあるようだし、来週月曜日入院して、食事コントロールしましょうかね。でも手術まで待ってもらう形になります。早くて、うーん来月半ばだなー。それでもいいですか?」

 

いろいろ不安が襲ってきて、またぐるぐる考えることになった。

でも、この先生なら信用できる!任せたい!というなんとも言い難い確信のようなものが確かにあって、

「どこの病院でもそのくらい待つんですよね? 先生を信用します。お願いします!」

と言いました。

私の考えでは、手術も職人技だと思うんです。外科医って実践を積み上げてきた職人

だからこの職人っぽい先生なら、きっと大丈夫!とピンと思ったので迷いがなくなったんです。

 

その後、肺活量を調べたり、心電図、骨密度、血液検査、尿検査などできる限りの検査をして帰りました。

その間、友人はずっと待っていてくれました。

すごく心強かった。1人でいたらとてもじゃないけど心細かった。

絶対にこう言う大病の重要決断、診察の時はできるだけ付き添いを、信頼できる誰かにお願いすることを強くお勧めします!

冷静な判断ができる視点、心の支えに本当になってくれます。

 

 

ここから長い癌治療生活が始まりました。

 

 

記録は続く