しゃおめいの”無邪気でいたい”

台湾から帰国して、再び日本社会で生きる!癌克服回顧録から地方移住までの記録

私、癌でした。 〜あれから4年、元気です!〜 <病院選びと人間模様>

病変が発見され、生検結果で癌と診断されてから、

落ち込んでいる暇なく、病院選びの決断が迫ってきました。

その時、私の体はもうプチ不調ではなく、

1日に1度は激痛に襲われるようなはっきりとした異変がありました。

 

プチ不調、東洋医学では"未病"と言いますが、

ほんの2、3ヶ月前に、

「疲れやすいな〜」「腹が不安定だな~」と思って漢方内科へ受診したのがきっかけでした。

そこから、血液検査→便潜血検査→大腸内視鏡検査 と検査を通して、

体の異変をその都度その都度発見され、

不思議なことに体の症状も比例するように、頻度と痛みの程度が高くなっていきました。

ほんの少しの違和感、気がかりが 大病発見のきっかけになり得るのです。

 

ターニングポイントとしては、

便潜血検査を受けた同時期に施術してもらった "腸もみマッサージ" が引き金だったと思います。

その日の翌日、今までにない激痛に襲われ、お腹の不調を深刻視したのです。

 

腸もみは、施術する人にもよりますが、本当にグイグイお腹を押したり揉んだりします。

その時私の腸にあった癌細胞は、腸管をぐるりと約1cm幅で増殖していました。

そしてもうすぐ腸の通りを塞ぐ寸前のところだったのです。

腸もみを受けて、腸の動きが急激に良くなり、狭くなった腸管に物が引っかかり始め、

腸管が異常に収縮、膨張し激痛をもたらした ということです。

 

 

さて、入院直前、私の目の前には、三か所の病院が現れました。

●近所の胃腸科提携の大学病院

●行きつけの漢方内科提携の大学病院

●職場が用意してくれた医療コンサル推薦のがんセンター

 

まず、私の中で会社推薦のがんセンターは選択肢から外れました。

それは、家から遠いことと交通の便の悪さが最大の理由でした。

それに、がんセンターはがん患者だけの施設です。

もちろん専門性があって、最新技術も持つ、そこが最大の魅力です。

でも私にはいいイメージができなかった。

気が滅入るんじゃないかとしか、そこにいる私を描けず、

また名医パンフレットで見たおそらく主治医になるだろう先生に、

なぜかあまり好意を持てなかった。

もちろんその病院に行ったことも、医師にお会いしたこともありません。

 

社長は、ご自身の医師の友人に私の症状を相談してくれていました。

そして大体の見解と、その時の最善の方法も教えてくれました。

そして「すぐに手術したほうがいい、大丈夫、必ず治ります!でも治療はできるだけ早く!」

「若いから、進行が早い。腕のいい医者にお願いするのが一番いい!」と本当に親身になってくれました。

だから社長が手配してくれた道を歩まない決断は、少し申し訳なく思いました。

でもどうしてもがんセンターに通う私は想像できなかった。

感謝の意を伝え続けて最終的に断りました。

 

 

残す2つの大学病院で悩むことになりました。

ひとつは、家からすぐ近く、通いやすい、主人や親も通いやすい。

病院は結構古くて、いつも人が多く出入りし、

棟があっちにもこっちにも点在しているイメージでした。

 

もう1つは、家から電車で一本、乗り換えなし 所要時間40分ほど 駅から歩いて10分弱

漢方内科クリニックと同じ最寄駅で、距離も割と近い

また約一年通った明大駿河台校舎と同エリアで、土地勘があった。

好きな本屋やカフェ、図書館がある。

病院自体とても新しく、入りやすい雰囲気

だけど1度、判断ミスした病院

 

後者の病院にもう一度行くことが決まり、

大腸内視鏡の検査画像と検査医師の診断書類がどうしても必要ということで、

漢方内科クリニックを出た後、胃腸科クリニックに電話し、

「もう一通同じ紹介状を書いて欲しい」と依頼した。

 

それから間もなくして、夕方に紹介状を取りに胃腸科へ行くと、

あのよく言えばクール、悪く言えば無愛想で冷淡な医師が明らかに不機嫌な態度で私を迎えました。

威圧、パワハラという言葉がよく似合う様相で、怖かったことを覚えています。

口を開いたと思ったら、

「こちらで手配した病院が不服なら、勝手にすればいい!」と開口一番言ってきました。

多分この一言で、私の気持ちがどこかで冷めました(覚めました)。

 

「先生のお気持ちを害してしまい、本当に申し訳ないですが、

以前から通っているクリニックの先生にも相談して検査結果が知りたいということなので、

もう一通検査結果だけでもお願いします。」と、どこか営業マンのようなスタンスで言いました。

はっきり言って、「もうこのパワハラ医者にかかることはない、書類だけもらって帰ろう!」と。

 

今思えば、この一件から、

医者は頼る存在ではなく、できないことをやってもらう存在であり、


"自分の体は自分しか守れない!自分の体は自分が責任を取る!"

という意識が徐々に芽生え始めた頃でした。

結局、しっかりした封筒と、簡素な封筒を二通受け取り、もう2度と行くことのないクリニックを後にしました。

 

 

 

翌日、午前中

明大のクラスメイトと、お姉さん的友人が付き添ってくれ、いざ漢方内科提携の大学病院へ

例の誤診した医者との再会です。

その旨友人たちにも伝えていたので、

「大丈夫!しっかり聞くことは聞いて、納得して決めよう!」と本当に心強かった2人です。

 

診察室へぞろぞろと入って行くと、

例の医師は「おおお、お揃いで」と我々の気迫に少々おののき気味

そして漢方内科クリニックの先生にいただいたサイン入り名刺も押しの一手で渡す。

「ああ、先日学会で会ってね、聞いているよ。」と名刺を受け取らなそうな素振りだったので、

「先生に預かってきたものですから、どうぞ」と私も2人の助っ人がいてくれるおかげで強気になれて引かなかった。

 

「それでその後どうなの?症状は?」

「あのあと大腸内視鏡検査で病変が見つかって、生検で癌と診断されました。」

「先生、私若くても癌でした!」

ちょっと意地悪を言いました。

先生はバツが悪そうに、参りました〜というような表情を見せました。

この先生は、いかにもモテそうな容貌、スタイルで、とても話しやすい先生

それに消化器の、いや医師会の間ではある程度名が通っている医師のようでした。

それは医療コンサルの電話口担当者、来社した担当者どちらに言っても「聞いたことがあります」という回答からわかったことです。

 

実は、この時私は本来なら四川省へ出張へ行っているはずでした。

そのことを初診の時にも話していて、その先生も「中国出張へ行ってきたばかりだ」と話を合わせてきました。

内科医は世間話をすることに慣れている。世間話から病状や原因を探る。外科医とは全く違います。

だからスラスラとここまでの病状や経緯を話し、病院選びの選択肢があって迷っていることも話しました。

 

「こちらの病院へお願いするとしたら、どういう治療方針になりますか?」

話しやすいことと、味方が2人もついてくれることで、普通ならはっきり言わないだろう話もグイグイと聞けた。

「入院してもらってから検査して、具体的に治療方針を決めて行くけど、僕は手術しないから、あとは外科の先生に話を聞いてみてよ。あー今日はオペだな〜午後なら会えると思うけど、時間ある?」

 

その日の午後は、もう一か所の大学病院の初診予約のため、この後移動する予定だった。

私の治療は早くしたほうがいい!社長の言葉が脳裏をよぎる。

もう今日病院を決める決断の日だ。

 

その医師は、「じゃあ、お友達もいるしみんなでお昼ご飯でも食べながら、どうするか考えてみて。もしうちで治療すると決めたら、午後外科の先生に会えるようにする。

午後1時半ごろまで僕ここで待ってるから、どうするか戻ってきて教えてもらえる?」

と、やけに臨機応変な態度に私たちは好感を持ったのは間違いなかった。

 

 

記録は続く