しゃおめいの”無邪気でいたい”

台湾から帰国して、再び日本社会で生きる!癌克服回顧録から地方移住までの記録

私、癌でした。 〜あれから4年、元気です!〜 <病変発見から病院選びまで>

運良く当日に受けられた大腸内視鏡検査で、

自分の腸内が赤赤しくグロテスクな状態になっていたことがわかり、

「癌か結核か 」と不意打ちを喰らったあの日から、

生検検査結果を聞くまでの1週間は非常に苦しい1週間でした。

病名がはっきりしないというのは気持ちの悪いものです。

でも自分の腹の中は、あのグロテスクな状態が確実にあると思うと恐ろしく、

また「癌治療」と聞いて彷彿する

脱毛や抗がん剤でどんどんやつれて行く姿を想像すると、非常に不安になる日々でした。

 

大腸内視鏡を受けた日から、

マグネシウム剤(腸内の水分を増やし、便をゆるくする薬)を処方され、

腸内に物がつまらないように、

できるだけ消化に良いものを食べる生活が始まりました。

 

消化に良い、悪い食べ物の知識が乏しかったため、いろいろ自分で人体実験する日々

「とにかく海藻類、キノコ類、根菜類は食べないように」と言われたことを守りました。

 

<入院1週間前>

生検検査結果を聞きに、その日は主人に付き添ってもらいクリニックへ行きました。

その日には、もうこれまで約4ヶ月の症状を振り返って、

おそらく大腸癌だろうと開き直っていました。

 

診察室に入ると、

腸内にできたグロテスクな状態は悪性腫瘍で、下行結腸にできた癌だと判明しました。


「これはもう初期ではなく、進行癌です。入院して手術になります。

行きつけの病院はありますか?なければこちらで近くの病院の紹介状を書きます。」

「幸いなのは、できた場所がいい。腸を切れば、根治できます。」

「根治と完治は違います。癌は手術して根治できても完治はできない。」

などなどなど

 

はあ、、 医者は慣れているからどんどんいろいろ言ってくるけど、

私は「まさか自分が癌⁉︎ 30代前半で?じゃあ20代後半からあったってこと⁇」

ショックが大きく、全然頭の整理ができない。

でも医者はどんどん次、次、次と、

まるでマニュアルの手順を踏むように次々といろいろ言ってくる。

「行きつけの病院がないなら、こちらで作成します。」

 

特に思い当たる病院もなかったので、それでお願いした。

近くの大学病院に看護師が電話して、そのまま初診の予約もしてもらった。

初診は3日後だった。

 

 

<病院選び>

胃腸内科クリニックから出た後、思い立ってすぐに、その時かかっていた漢方内科へ電話した。

今日かかりたいが空いているかと、予約してすぐに向かった。

その漢方内科は漢方医と一般的なお医者さんがいるクリニックで、とにかく事細かく親身に話を聞いてくれた。

だからとにかくこの生検結果を話したい!

その勢いでのことだった。

前回、提携大学病院へ紹介状を書いてくれて、

その大学病院へ行った後、結局なんの検査もせずに帰されたこともすでに話していた。

 

予約時間が来て、診察室に入ると

「この前診察したばかりですよね?どうしました?」と少し訝しそうに聞いて来た。

「実は大腸内視鏡の生検結果が出て、癌だとわかりました。そのご報告に来ました。」

と告げた瞬間、涙が溢れて止まらなくなってしまった。

 

漢方医(かわいらしい女医さん)は立ち上がって、すぐに抱きしめてくれました。

「大丈夫、絶対治る!大丈夫だから」と。

 

ひとしきり泣きました。

その間ずっと抱きしめてくれた先生のことは忘れられない。

 

そして、「もう一回あの大学病院へ行きましょう!」

「この前学会でその先生にお会いしたんですよ。よろしくお願いしますと言っておきましたので、

もう一度あの病院へ連絡しますので、検査してもらいましょう!」

 

内心、この大学病院へ行くのは気が進みませんでした。

なぜなら、「若いから、癌の可能性は考えられない」と誤診した病院です。

信用がありませんでした。

でも漢方医は、「こちらであれば術後に私たちがケアできます。」

「とにかくもう一度行って、話してみて」と

すでに予約した別の大学病院の初診日の、午前中に予約時間が決まりました。

そして、先生の名刺に「笑美さんをどうぞ宜しくお願い致します」とサイン入りで書いて、

「これを大学の医師に渡しなさい。何かあったらいつでも連絡して。」と渡してくれました。

この名刺は本当に心強かった。

なにか強い味方、いや保護者がついてくれるようでした。

 

その時、もうすでに胃腸内科クリニックに

別の大学病院宛の紹介状を作ってもらっているところでした。

でも結局一度追い返されたその大学病院へも行くことになりました。

 

 

そして翌日、会社へ出社すると、部長から社長へ私の一大事が報告されており、

「医療コンサルタントの方からその日の午前中コンタクトがあるから相談してください」

と言われ、出社するやいなや電話が来て、これまでの経緯を話し、

午後にはコンサルの担当者さんが会社まで来て、いろいろ説明してくれました。

そして今度はまた別の病院(がんセンター)への手配を進めるような運びになりました。

 

医療コンサルの存在は知っていたものの、

ずらりと名医の写真と略歴が書いてあるパンフレットを渡されて見てみると、

白い巨塔やドクターXのTVドラマの世界が一気に想像できるものでした。

 

ということで、

検査結果がわかってから48時間経たないうちに、3つの病院の選択肢が出てきたのです。

一番初めに胃腸内科クリニックで紹介された家の近くの大学病院の予約まであと1日半

 

自分が進行癌だと知ったショックは漢方医の前で大泣きしたことを境に、

なんかもう漠然とした不安は消えていました。

それよりも現実的な一歩として、

自分の状況に最適な病院選びをしなければならないステージに進んだのです。

 

とにかく口を揃えて言われたこと、それは、

「早く見つかってよかったね」

でした。

 

 

記録は続く