しゃおめいの”無邪気でいたい”

台湾から帰国して、再び日本社会で生きる!癌克服回顧録から地方移住までの記録

私、癌でした。 〜あれから4年、元気です!〜 <あらすじから病変発見まで>

34歳になってすぐ、ステージ2の進行結腸癌が発覚しました。
この記事は、私の癌サバイバー体験記録と、
もし今、癌で不安があったり、苦しんでいる方に
少しでもお役に立てたらと思い書き留めます。
入院中、私もこういった闘病ブログに助けられた経験があるからです。
 
【あらすじ】
プチ不調
漢方医受診・血液検査
便潜血検査
腸もみマッサージ
腹部激痛
入院
注腸検査
絶食約3週間
腹腔鏡手術
縫合部細菌感染
吻合部浮腫性狭窄
経口抗ガン剤内服
会社時短復帰
漢方薬(煎じ)内服
がん相談支援センターへ仕事と生活相談
2度目の入院・内視鏡手術
1ヶ月休職
2ヶ月後退職
2度目の入院から約2年漢方薬を続ける。
アルバイト開始
個人事業開始
ロードバイク購入&サイクリング開始
今に至る
半年に一度の定期検診(CT、超音波、血液検査)
 
 
不調を実感して医者にかかってから、2ヶ月ほどで病変が見つかり、
生検検査結果が出て、4日後入院、その3週間後に腹腔鏡手術で大腸を20cmカット
 
その後、縫合部細菌感染
 
感染症がおさまったと思ったら、今度は大腸吻合部浮腫性狭窄
 
退院まで約2ヶ月かかり、退院後階段が登れなくなるほど体力低下
入院以前からお世話になっていた漢方医に生薬を処方してもらい、
約2年漢方薬を飲み続け、ようやく長時間外出ができるようになりました。
 
ここまで約2年
そして、仕事は辞め、勤め人生活から離れ、養生に養生を重ね、
今私は夜にグッタリして早く休むこともなくなり元気です!🤗
 
 
 
【入院4ヶ月前】
私は新しく転職した商社に勤めながら、
明治大学通関士講座に毎週土曜日通っていました。
この講座は小休憩があるものの、5時間ぶっ通しの半年間集中講座でした。
 
台湾から完全帰国して、3年経とうとした頃です。
 
会社への通勤は、満員電車に約1時間
行きも帰りもあの窮屈な電車の中で、ろくに息も出来ずに往復2時間
 
慣れない仕事でも、やりがいを非常に感じていた貿易業務でしたが、
通勤だけで疲れていた日々でした。
就職して、すぐに嫌だと思った満員電車通勤と、週一回の早朝会議
 
転職して2ヶ月もたたない頃、お腹の調子がなんとなく良くないな〜と感じていました。
でも生来便秘にならない体質で、お腹の調子はむしろたまに下すな〜という程度でした。
 
【入院3ヶ月前】
夏になり、暑い昼間に週一とはいえ大学へ通うのが少々億劫になっていました。
なぜなら、講習の5時間はずっと全精神集中で、毎週土曜日の夜は疲労困憊だったからです。
その上、教室はクーラーでガンガンに冷やされ、非常に寒くて辛い5時間でした。
なんであんなに冷やすのか謎でした。
みんな寒くて厚着しているのに、調節困難という回答でした。
 
そんなある日、大学への登り坂で、立ちくらみがして、
その日はとてもじゃないけど講座の途中で帰りました。
 
 
【入院2ヶ月前】
立ちくらみがしてから、明らかに疲れやすくなったのがわかり、
西洋医、東洋医どちらの見解も得られる漢方内科を探して受診しました。
初診でいろいろ聞かれましたが、まずは保険適応内診療で、血液検査も受けました。
その2日後、会社の健康診断でまた血液検査をしました。
 
1週間後、検査結果を聞きに行くと、かなり"重度の貧血"と言われました。
しかも更に詳しく血液成分を調べていてくれて、鉄欠乏性貧血だとわかりました。
「貧血の原因を探りましょう」と先生に言われ、鉄剤と胃薬を処方されました。
「念のため便潜血検査を受けてみて。内臓が違うならまた別の原因を探しましょう!」
ということで、2回採取する便検査を受けました。
 
【入院1ヶ月前】
便潜血検査結果が出るまでの間、あまりなることがなかった便秘になるようになってきました。
更に、風呂上がりにお腹を見ると異様に片方だけやけに出っ張っていることに気づきました。
でも、あまり気にすることなく、過ごしていました。
今までなかった腰痛も感じるようになっていました。
でもデスクワークで座りすぎ、運動不足、姿勢の悪さだと思っていました。
 
体の変調が気になり始め、マッサージに行くようになりました。
アロマオイルマッサージ、足つぼ、コルギ、ホットストーン、腸もみマッサージ
いろいろ受けました。元々マッサージ大好きです笑
 
腸もみマッサージを受けて翌日、朝からお腹が激痛に!
電車には乗ったものの二駅すぎたところでトンボ帰りして、近所の胃腸内科へ受診しました。
「食あたりか、ストレスによるものだと思うから、薬を飲んで様子を見ましょう」と言われ、
頓服鎮痛剤と整腸剤を処方されました。
 
とりあえずその薬を飲むと治りました。
でもその一件から、3日に一回くらいそういった激痛が食後に来るようになりました。
会社を早退して、いつもの漢方医を受診すると、
「紹介状書くから、エコーでも内視鏡でも何かしら検査した方がいい」と言われ、
その日の午後大学病院へ行きました。
 
でも大学病院の内科医は、
「まだ若いからガンはないと思うし、今日は特に検査できることがないよ」と
わざわざ時間をつぶして受診したのに、検査もせず帰されました。
 
【入院3週間前】
 
腹部の激痛が2日に一回くらいになり、1日1回くらいになって来た頃、
食べ物もかなり消化のいいものを探して食べるようにしていました。
夜に飲み会に行く約束があったある朝、あの激痛が来て、もう完全おかしい!と思い、
検査結果待つ前にもう胃腸内科で内視鏡検査してもらおう!と、一度受診した胃腸内科へ行きました。
 
受診すると、「その後どうですか?」と言われ、
痛みも頻度も増しているので内視鏡検査してほしいと言いました。
すると、「では予約してください」と言われ、受付にいうと「3週間後だ」と言われました。
「えー!私は今日受けるつもりで来たのですが、すぐにできないんですか?」というと、
「ちょうど今日午後一の人がキャンセルしたから、今から下剤飲めば間に合うかも!」と言われ、
昨夜の夕食内容も消化にいいものを食べたと伝えたらOKが出たので、
一旦帰って下剤を飲み、午後にまた胃腸内科クリニックへ行きました。
 
初めての大腸内視鏡です。
その上、注射で何度も貧血になる私が初点滴。
看護師さんがなんと、点滴針を刺し間違えたのか、めちゃくちゃ痛くて、
どんどん腕が青あざになって来て、
用意してくれた暖かいタオルを腕に当てながら内視鏡に臨みました。
 
そのタオルの温もりが結果的にありがたかった。
内視鏡は始終激痛でした。本当に泣いた。
本当に早く終わってくれ〜と念じていたら、案外早く終わりました。
その時、検査した先生が首を傾げていました。
 
検査着から着替えて、診察室に呼ばれると、
いつもよく言えばクール、悪く言えば突き放す言い方の取っつきにくい先生が更に怖そうでした。
 
「検査しましたが、今回最後まで行けませんでした。途中でもう行けなくなりました。」
と言われ、検査画像を見せられると、真っ赤なグロテスクな写真でした。
 
「今日ここの部分を採取したので、更に検査に出します。
結果は1週間後出るので、また結果聞きに来てください。
私の初見では、いわゆるガンの可能性が50%、そうでなければ結核の可能性が50%
どちらかです。とにかく消化のいいものを食べるように心がけてください。」
と言われました。
 
青天の霹靂とはこういうことだと身をもって感じた瞬間でした。
もしかして、潰瘍性大腸炎とかなにか大腸の病気だろうとは思っていたけど、
まさか自分が、しかも30代半ば前にして、ガン?!
 
本当に「がーん( ̄◇ ̄;)」でした。
 
 
記録は続く