しゃおめいの”無邪気でいたい”

台湾から帰国して、再び日本社会で生きる!癌克服回顧録から地方移住までの記録

自分が病気になった時の、周りの反応 -経験と意識の差-

私が癌になって、まずすぐに報告したのは、親ではなく、私のお姉さん的存在の友人でした。

彼女自身の周りに癌になられた方が結構いて、

「自分も癌体質だから気をつけている」ということをよく聞いていたからです。

 

あの頃、私には2人の良きアドバイザーがいました。

このお姉さん的な友人と漢方内科クリニックの医師ご夫婦です。

非常に冷静に、的確に、必要なアドバイスを導くように与えてくれました。

 

<今でも覚えている、そして是非シェアしたいアドバイス>

 

○大病が発覚した時、病院へは絶対に1人で行かないこと

→複数人で医師の話を聞いた方がいいです。

大丈夫と思っていても、いろいろと事実がわかると弱気になるものです。

勝手に治療方針を決められる可能性がある。

また冷静ではいられない時もあるので、第3の目を必ず持つべきです。

 

○病院、医師は選べるということ

→絶対に信頼できる医師、アフターケアが受けられる病院を納得して選ぶべき

 

○西洋医学でできること、東洋医学でできること 使い分ける

→何事も偏りは良くない。症状に応じて、どういう治療が適しているかを選ぶべき

 

もし自分が病気になったら、たぶん想像する以上に冷静だと思います。

だけど大きな不安感が襲って来ます。

「治療がうまく行かず、死んだらどうしよう…」「私死ぬの?」

何度もそう思いました。

それまで「別にいつ死んでもいいや」と思ったことも事実ありましたが、

「私死にたくないんだな」と悟りました。

 

 

あの時、続けて親や主人、職場の上司と主要な同僚、そしてもう1人友人に話しました。

もちろん聞いてほしい気持ちがあったからです。

 

親に話した時、もちろん驚いていました。

同時に自分が状況説明しながら、

「あー、心配かけたなーあんまり話さない方がいいかも」と思いました。

 

周りは「気をつけて」とか「あんまり考えないように」とか、

そんな言葉しか出てこないです。それが当たり前だと思います。

 

主人は自分の親が癌経験者で、小さい頃からどこかドライなので、わりと冷静でした。

それにあのとき、私は毎日毎日不機嫌で、怒りやすくて、イライラしていました。

どこか病気だと知って、私の不機嫌の異常さに納得したのかもしれないです。

「まじかー」とは言っていましたけど。

 

会社の人たちも驚いていたけど、

仕事で穴があくことなんて全然心配しないで!と、

とにかく今の仕事は治療に専念することです!と、本当に温かみのあるいい職場でした。

あの頃は!(この辺は後半で書きます)

 

問題はもう1人の友人でした。

彼女は検査結果がわかった日のつい先日会っていて、

「体調が少しおかしいから検査を受ける」と話していた高校時代からの友人です。

彼女も体調があまり良くないと言っていたので、アドバイスの意味も踏まえて報告しました。

確かLINEで伝えたら、すぐに電話がかかって来て、電話口で泣いていました。

彼女の立場に立てば、同級生の友達が癌になって、しかも進行癌で入院、

そう聞いたら、そりゃあ誰でも不安になりますよね。

 

でも彼女の泣きながらの話し声は、自分の事の重大さを再認識するものでした。

同時に友人に話すとショックを与えるんだ、と気づいて、

それ以降すでに話した友人以外には、自分からは何も話しませんでした。

自分も相手も不安に駆られることになるからです。

 

このような思いをしたのは、実はこの時だけでなく、

退院して3ヶ月ほど経った親戚(いとこ)の集まりでもありました。

 

いとこが結婚するというので、退院して初めて外食&集まりに参加した日

親のネットワークでみんな私の病気は聞いていたのでしょう。

不自然なほど、何も聞いてこなかった。

あの時私は痩せに痩せて、43kgくらいしかなかったし、

私だけ消化のいい特別メニューにしてもらったので、明らかに突っ込みどころ満載なのに笑

 

ああいう時、むしろどんどん聞いてもらった方が気がラクなものです。

結局自分から話を切り出すと、ポツポツと質問され始めました。

「こんな話をすると結構みんなショック受けるようで、あまり話さないようにしてたんです」

と、私としては少々気を遣っているんですよ、とアピールしたつもりが、

ある1人に、「うん、それでいいと思うよ。話が暗くなるし」と言われました。

 

この一言は、結婚祝いの場ということと、ある意味私の発言に合わせて、

彼なりに気を遣ったのかもしれませんが、

「話が暗くなる」と聞いて、フツフツと怒りがこみ上げて来ました。

私が退院して、今こうしてパーティーに出席しているのに 話が暗くなる?!

 

大病を経験するって、千差万別人それぞれ状況とか思いがあると思います。

でも大きな不安と戦って、病院で辛抱して、いろんな思いを感じて克服するのは共通項だと思います。

あの一言は、その場を考えたものだと思いたい。

 

病気になることは、

不運で、かわいそうで、聞きたくもない、気持ちが落ち込む話なのか?

 

現に私の親は、嘘ついてまで隠そうとしました。

それは多分あの田舎の狭い地域で、

"知らないところで何を言われるかわからない"という教訓があるからだと思います。

例えば、今年のコロナだってそうです。

田舎で「コロナ感染者」なんて知れ渡ったら、犯人者扱いです。

石を投げられて、その地域に住めなくなるくらいまでに発展する非常に閉鎖的な文化です。

 

今や、早期発見すれば治る可能性が高い癌でも、田舎に行けばひた隠す対象になり得る。

その辺はやはり首都圏と地方の違いを感じずにはいられません。

 

でも私は今、本当に元気です。そしていろんな意味で運が良かった。

だからこそ言えるのだろうけど、

私の癌サバイバル経験は、この人生を生きていく糧であり、自信です。

そして生き方を本当の意味で考え直した転換期です。

 

卑下する必要も、隠す必要もないと思っています。

 

 

記録は続きます