しゃおめいの”無邪気でいたい”

台湾から帰国して、再び日本社会で生きる!癌克服回顧録から地方移住までの記録

自己紹介:見えてくるものと伝えたいもの

世の中には本当に十人十色、様々な人がいるなーと改めて思う今日この頃

 

私は今日もお陰様で毎年毎年多くの新たな出会いに恵まれていますが、

その際、必ずあるのは自己紹介です。

自己紹介も千差万別

気づけば、自己紹介の内容はもちろんですが、

その話の順序立てやどんな固有名詞を持ってくるのかに私は注目して聞くようになりました。

 

例えば、私が広く紹介したい「おけさ柿」を例にとってみます。

 

「”柿“持ってきたので、お好きならどうぞ持って帰ってください。」

 

この一言で柿が元々好きな人と、もらえるものなら何でも欲しいという人は持っていくだろうけど、

柿はそんな好きじゃない人や苦手な人、あまり果物を食べない人は、まあ手に取らないです。

ここでこの”柿“の説明を付け足す。

「この柿は、私の地元新潟のブランド柿、「おけさ柿」です。

以前農協でバイトしたことがあり、農家さんから毎年送ってもらっているんです。」

 

ここまでは、「ほうほう」「へぇ〜」といった感じで興味持つ人は手に取る。

そこにもう少し付け足す。

 

この柿は千疋屋に卸されているそうで、伊勢丹でも買えますよ。

 

ここでビクっとなる人のまあ多いこと笑

そして最後のひと付け

「令和の大嘗祭に献上したそうです。」

 

といって説明し終わる頃には皆さんの興味関心が最初とは雲泥の差です。

そして、実際に食べてもらって、元々嫌いだったり、苦手な人が“大好き”にまでなる

そんな柿、それがおけさ柿です!


味は本当に本物なのでぜひご賞味いただきたいのですが、

私がこの記事で言いたいことは、特定の固有名詞で人の心がかなり変わるという事実です。

この事実がいい悪いではなく、それだけ影響力があるという事実がある。

でもその柿の持つ味、食感はずっと変わっていないのも事実です。

 

 

しかしながら柿には「食べごろ」があります。

おけさ柿は渋柿なので、

もし食べた時に渋が残っていたら?

熟れすぎてドロドロになっていたら?

カメムシにやられて、その部分が酷く変色していたら?…

 

それでも自分の味覚に嘘ついて、「結構なお味ですね」とか言うのでしょうか?

もしもそうなったら、

もう味が云々ではなくて、その柿についた付加価値、イメージで食べているということ

こういうバラエティ番組の企画をみたことがあります。柿ではなかったけど。

 

 

自己紹介に話を戻すと、柿に説明付けた固有名詞は、

勤務先や出身校、取引先、特定の名の知れた人物、免許、資格などに値するわけです。

そして、味や食感の部分は、仕事の働きぶりや人柄ですよね。

柿なら、紹介されてすぐに食べたら結果はわかりますが、人間はそうはいかない。

人柄を知ったり、仕事ぶりを理解するまでにかなり時間を要します。

 

だから私はもし固有名詞を自己PRに使った場合、経験談を付け足します。

これが例えば国際舞台に立つと、もっと大きな括りの固有名詞になるので絶対に説明不可欠になるんです。

「私は日本人(国籍)で、無宗教(信仰、信じるもの)です。

言語は、日本語がネイティブで、英語と中国語です。

肉を食べますが魚中心で、米が主食、ベジタリアン、ビーガンではありません。

台湾茶を日本に紹介する活動をしていて、いずれは日本茶を海外に紹介したいと考えています。」

 

ここまで肉付けしてやっと相手に、“どんな日本人か”伝わります。

ここに日本独自の固有名詞をつけても、ぼんやりなイメージしか伝わりません。

 

私が今までさまざまな立場、地域で多くの人々と交流して実感していることは、

固有名詞を連発する人は、その名詞を言えば、

十分にPR力があって、中身を説明しなくてもインパクトを与えられる、理解してもらえると考えている可能性が高いということです。

ブランド力、イメージ力(看板)に重きを置いて、中身は二の次の可能性が高い。

まあ、こういった自己紹介をする方は、そういえばうまくいく場にいたんだろうし、現にその看板に魅力を感じる人たちがいるからでしょう。

 

でも勤務先や出身校の名称を言っただけでは、

そこで何をやっているのか?やってきたのか?

どんな経験を経て、どういうことができるのか?

どんなスタンスで、どういうことをやりたいのか?

全くわからないです。

 

学歴社会と言われますが、まさにこういうことですよね。

何度か採用に携わった、というか意見を求められたことがあり、

華々しい出身校や所属組織の名称を並べた方もいたけど、

逆に華々しいと訝しむ気持ちになったのは私だけではなかったです。

 

伝え方、書き方、話し方の得手不得手はどうしてもあるし、差もあります。

でもね、

なかなかすらすらと言えなくても、自分の言葉で話す人は言葉数少なくても心に響くものがあります。

人の心を動かす説明って、難しいけど一生懸命絞り出した言葉には重みがあると思います。

 

ネットでのコミュニケーション、SNSでの投稿もまさにこんな要素があると思います。

ブランド戦略、イメージ戦略がうまくできる人は素晴らしい能力があると思うけど、

それだけじゃないと信じています。そこだけに捕われてはいけないと思います。

自己紹介で固有名詞を並べられたら、絶対に突っ込んで経験談を聞く。

”見る目“を養うことは、これからの社会に非常に必要だと私は思います。

 

 

ビジネス会に参加して

昨晩は近所の料理屋さんのビジネス会に参加しました。

 

こういった会に参加するのは個人としては初めて

 

サラリーマン時代は社長の付き添いや展示会で、

たまに立食パーティーとかセミナー後の懇親会とか出たことがあるけど

雇われの身で参加するのと、個人で参加するのでは、かなり見方が違いました。

当たり前かもしれないけど、立ち位置が変わると人間の見方も変わるな〜と。


でも共通事項もありました。
自分の自慢話に持っていきたがる人はどこにでもいるということ苦笑

ああいうのに捕まったら笑ってやり過ごすしかまだ処世術がないです。

他の方法があれば教えてください。早く逃れる方法が知りたい。

 

私が参加した目的は、困っていることをシェアして、

一緒に考え、アイディアを出し合い、それぞれがそれぞれの閃きや方法を得ること

 

コロナが蔓延して、皆が何かしらの不安や制限に直面して考えるところがあると思います。

コロナ以前まであった“平常”運転ができない中で、私は「二極化」がたしかにあると日々感じます。

私のいう二極化は、


物事を全く新しい視点で見て、考え、冒険する人

既存のやり方や方法をこれからも続けて行く、それが当たり前だと思っているまたは冒険しない人

 

 

この会にも私の視点から言うと、二極化はありました。

その事実を踏まえて、いいとか悪いで判断することはもったいなく、

多様な考えを受け入れて、“自分はどうするのかを決める”

流されたり、毛嫌いするのではなく、一旦受け入れる。

そうしないと、キーワードとして出た「共存共生」の実現は難しいな〜という感想

 

振り返れば、私はアートギャラリーで知り合った作家さん達とよく話します。

その中で出てくる話題、ヒントって創造的で元気が出るし、次につながっていく現実的なものが多い。

 

それはおそらく、

自分の持つ能力や表現したいこと、やりたいことを自ら企画提案、試行錯誤して活動しているから。

会社のお金ではなく、自分のお金で企画運営して、自分の足で稼いだ人脈で繋げているから。

現実的には生活費や活動費を得なければいけないので利益追求は外せない部分だけど、

だけど軸じゃない。軸はもっとライフワーク的なところにある。

 

「共存共生、共存共栄」

いままで得たご縁、茶縁をより有効に、友好的に活かす上で大切なこと

 

 

改めて思ったのは、
やっぱり私は私のスタイルで、自分で切り開いていくしかないんだなーということ

占星茶会でもよく言うけど、

このご時世「答えはどこにもない、誰にもわからない」

 

だから
既存のビジネスモデルやルール、セオリー、成功体験もいいんだけど、それよりはむしろ

異常気象やコロナ禍に直面して、苦悩したり、模索している方が自然だし、

そういう悩み、迷いをシェアしたい

 

 

 

 

出会いというのも意図的より偶発的な方が導き感がある✨

やっぱり器ギャラリー作りたい!

夢は大きく、欲張りの方がいい!

 

最後には自分が決めるし、自分の信じた道を選ぶしかない。

だから、

 

自分を信じて、前進あるのみ!

 

 

 

 

近所の喫茶店にてーコロナ・移住の受け止め方の違いー

 

今日はこの街に来て、割とすぐに行った喫茶店へ、とても久しぶりに行きました。

ここのマスターがおしゃべり好きでいつも長くなるので、割と覚悟していかないといけない店です。

 

旅や知らない街へ越した時、私がよくやる情報集め方法のひとつ、

それはその土地のカフェや喫茶店、または美容院、つまり割と長く話ができるお店へ行って、その土地のおすすめのお店や医者を聞くという方法です。

旅の場合は、宿の人に聞くのが一番早いですが、私の経験上、ネットで情報集めるより、はるかに生活に密着した有益情報が得られます。

この喫茶店はこの土地でその最初のお店でした。

 

今日は雨のせいか、私が店へ入った時、誰もいませんでした。

このお店のキリマンジャロが好きですが、今日もなかった。

キリマンジャロはもうここ数年、大手コーヒーショップに豆を取られて手に入れるのが難しいそうです。

結局おすすめのコスタリカ

 

コーヒーとケーキを待っていると、マスターが運んできました。

ご夫婦2人で切り盛りされていますが、なんだか2人ともこんなに青白い顔だったっけ?

「どうしてた?元気にやってた?」どうやら覚えててくれたようでした。

「お久しぶりです。おかげさまで元気です。コロナ後どうですか?」そう聞くと、マスターは手を広げて、店内を見回した。

「これが現実だよ」

 

 

いつも私が座った席の隣席にかけて、いろいろおすすめの本や雑誌をテーブルに持ってくるけど、今日は持ってこない。「どうしてるの?最近」とまた聞いてきた。

 

「実は移住することにしました。去年の台風で被害も出て、そこに今年のコロナでもうここには住めないなと思ったので。」

これは私の本心

でもきっとこの土地でずっとやってきている人にとっては、ムカつく言葉なのかもしれません。

「まあ、ここにいようが田舎に行こうが同じだけどね。で移住してどうするの?」

 

災害が自分の身にふりかかかる可能性は、おっしゃる通りどこにいてもさほど変わらないと思う。

でも地方は人口が違う、土地の値段が違う。コロナは人を介して感染する、感染リスクは同じではない。今後コロナ以外の感染症が蔓延する可能性だって大いにある。人口が密集した都市部は感染症に弱い。

 

一応、自分の思い描く思いつきの夢物語を話してみたけど、

「そのプレゼンじゃあまだまだだな。」とダメ出しされた。

 

「田舎もね〜いろいろあるよ、いけばわかると思うけど。こことは違う。何かやろうとしたって、口ばかりの人が多い。やりたい人はみんなこっちに出てくる。」

マスターが東北出身ということは、割と最初の方で話題に出た。こういう言い方をするということは、何かあったんだろう。

 

とはいえ私も田舎出身者、田舎事情は多少分かった上での移住の決断だ。

もちろん、短期滞在と居住は全く違うことも、今までの経験から十二分に分かっている。

「私の地元も口先だけでアクション起こす人は少ない。だからずっと田舎なんですよ」

そう言って、自分の言葉に改めて納得する自分がいた。

でもね、自分で言っておいてなんだけど、5年首都圏で暮らして分かったことは、何かをやろうという面白い人は確かに割合として多い。でもそれは、首都圏人口を考えれば自然なことで、付き合う人脈が変われば、田舎とそんなに変わらないということ

何を田舎と定義するのかによるけど、私の中では世田谷もど田舎だと思っています。コロナ蔓延でよく分かったひとつ

要するにどこにいようが、自分のスタンスや行き先次第で、付き合う仲間、周りの人たちは変わっていく。私はむしろ今、面白い人は地方へ出始めていると実感している。

 

移住先へ始めて赴いた日、実は記録的豪雨でひどい天候でした。

川は荒れ果て、濁流、増水。地元の人々はこんな景色じゃないんですよ〜いつもは〜とすごく残念がっていたけど、

私はこの状態を見られてラッキーだったと思いました。なぜなら豪雨での災害度合いが見れたからです。

ネットで調べても、町のいい情報は容易にわかるけど、こういったひどい光景や問題はなかなかネットで見れません。

静岡と聞いて、=地震、噴火 と災害のイメージがすぐにわくかもしれませんが、もちろんかなり調べて、川の様子も見て決断しました。

それに、静岡は昔から地震、噴火の脅威に晒されているだけあって、防災意識が非常に長けています。川に沿ってダムの方へも連れて行ってもらいましたが、公共設備、防災設備がものすごくしっかりしている印象です。

むしろ東京が直下型地震、豪雨災害が起きたら?また電車が計画運休だから右往左往?正直東京は防災対策も人々の意識も静岡より低いと思います。

 

マスターは、「台風で多摩川沿いの家を売った人がほとんど都心へ引っ越した。これからはタワマンも増えるだろう」と、にわかに信じがたい発言

パンデミックで、ロックダウンになれば、一番不自由で危険な場所は都市部です。また一級河川に挟まれた東京のハザードマップを見れば一目瞭然で、水害を免れるであろう小高い住宅地はどこも密集していて地震が起き、二次災害で火災が起きたら一帯危ないでしょう。

タワマンは去年の台風被害で武蔵小杉の散々な結果を見れば、絶対住みたくなくなります。

台北在住時、私も27階建て高層マンションの25階に住んでいましたが、まあ、エレベータ4基あってもめちゃくちゃ不便ですよ。しかも25階までも蚊は来ます苦笑 

 

マスターは続けて、「航空会社はどうなるんだろう?潰れちゃうの?とか、メガバンクの支店が今後1/3に減るんだって!そうしたら他の小さい銀行はどうなるの?リストラは必至、今はもう大変な時代だよ…」と言ってきましたが

「いいんじゃないですか?多少縮小したって困らないですよ。」とまた本音を言ってしまって、私も本当に可愛くないやつです。

 

主人にこの話をすると、

「たぶん、大変だね〜、おたくも〜って言い合いたいだけだったんじゃないの〜」と言われて、なるほど、そう言うことかと腑に落ちました。

 

 

今日はコーヒーとケーキを平らげると、店を出ました。

お会計時、奥さんに「いつ引っ越すんですか?」と聞かれて「今年いっぱいはいます。」と言うと、「そうしたらまだ余裕がありますね」と言われたけど、たぶんもうここには来ないだろうと思いました。

 

いつの間にか、私たちの心はもうこの街にはないようです。

 

 

 

 

私、癌でした。〜あれから4年、元気です!〜 <病院決定と主治医との出会い>

とりあえず大学病院を後にして、付き添いで来てもらった2人の友人と一緒に、

病院近くのパスタ屋へ行って、作戦会議をしました。

 

私の場合、少し特殊かもしれませんが、3つの病院から選んで癌治療生活に入ることになりました。

 

①A大学病院:家からすぐ近く、まだ主治医と会っていない、建物が古い

②B大学病院:電車で40分ほど乗り換えなし、誤診した病院、信頼できる漢方医の紹介、建物が新しい

③がんセンター:家から1時間以上、電車とバス乗り継ぎ、遠い、社長のオススメ、医療コンサル紹介

 

まず、今日最初から③がんセンターの選択はありませんでした。

理由は、家から遠いし、通いづらい。

それに癌患者ばかりの病院で気が滅入りそうだと思ったからです。

 

残るは2つの大学病院

まずは友人に病院と、先程話した内科医と、内科医の話の感想を聞きました。

友人の印象は良かったようです。話しやすいし、病院も新しい、特に悪くないということ。

 

話していくうちに焦点は、医療技術や医療設備よりも、

退院した後のイメージ、つまり通いやすいかどうか、アフターフォローがどうか

友人の1人は大学名で病院の判断も考慮していたけど、

私は昔から大学名に左右されないので、あまり選択する条件にはなりませんでした。

医療設備投資面や医療実績は一応割と調べて公表されている情報の範疇で比べたけどあまり変わらなかった。

 

結局、午前中に内科医と話した、誤診したB大学病院に決定しました。

決め手は、

○今までの経緯もある

○話が早い、すぐに入院手配や、検査が進められる

○家から離れるが乗り換えなしで通える

○退院後、漢方医のアフターフォローもスムーズに受けられる

○病院が新しい

 

入退院を繰り返しました(2度入院した)が、

4年経った今でもこの選択は間違っていなかったと思っています。

 

病院が新しい建物というのは、本当に重要条件でした。

術後、痛みで手すりに這って歩いたことも何度かあって、

トイレになだれ込んだことも何度もあります。

その度に新しい施設でよかった!と本当に思いました。

 

あと通いやすさと、漢方医のアフターフォローも結構重要でした。

事実、退院して数ヶ月後から漢方内科に通い出しましたが、

私の病状や治療の資料が漢方医の元へ届けられ、報告されていました。

これはもちろん、大学病院の紹介元だからだと思いますが、

それと誤診した流れの中で、名誉挽回したい内科医の気持ちもあったのではと思います。

実際漢方医もこの詳細な資料と説明に驚いていました。

 

ただ通いやすさ面は、家から近ければ近いほどいいと思います。

特に私は消化器疾患なので、検査するには絶食したり、胃や腸を空っぽにせねばならず、

通院の電車の中で、急にトイレへ行かなければいけなくなる不安は、毎回検査の度に今でも味わいます。

いざ入院、手術となると本当に気も動転して手っ取り早く、流れのままに決めることがほとんどだと思いますが、

自分の体、いのちは自分でしか守れないと思いますので、納得した選択をするべきだと思います。

 

さて、その後また友人と一緒に午前中の病院へ戻り、

あの内科医に「こちらにお願いしたい」と伝えました。

すると「外科医の先生は今まだオペだからちょっと待ってもらえる?」と言われて、

外科医を待ちました。

 

しばらくすると、名前を呼ばれて、診察室に入ると、

全身灰色に身を包んだ厳しそうな真面目そうな先生がいました。

よく言えば、職人のオーラ漂う先生でした。

 

「私も今手術終わってすぐ来たところなので、

よく話がわかっていないのですが、要するにうちで治療するということでいいのかな?」

と言われ、

「はい、本来この時間に別の病院にかかる予定でしたが、こちらの病院にお願いしたいです。」

と言って、元々A病院用に作成された胃腸科クリニックの紹介状を差し出すと、

先生は「開けていいんだね?」と再確認して、他の医師の名前が書いてある封筒をおもむろに開けました。

 

あの胃腸科クリニック、紹介状をもう1通作ってくれとお願いしたのに、お金も同等払ったのに、

まるで簡易版と正式版のような、素人が見ても雲泥の差だとわかる歴然とした資料内容の差でした。

簡易版じゃあ、何も治療できないくらいお粗末なもの!本当に後味の悪いクリニックの医師です。

 

正式版の資料を職人オーラの先生が見て、

「うーん、これじゃあよく見えないんだよなー。もうこの先にいけないって言ってましたか?」

といろいろ資料を見ながら質問されて、

「もしうちに入院したら、もう少し検査を受けてもらって、治療方針を決めます。この後に今日できる検査をやって帰ってもらって、あとは後日入院の手続きをしてもらうけど、手術は早くて2、3週間後になります。

来週から全国の消化器の医師が会議で集まるので、どこの病院も手術はそのくらいになります。」

と言われました。

 

え?2、3週間後?そんなに待って大丈夫なの?!

その間にもっと進行して、他に転移したら...

一気に不安が押し寄せてくる。

 

「でももう腸管塞ぎそうだから、自分で食事コントロールできるなら、来月入院でもいいけど、

まあ痛みもあるようだし、来週月曜日入院して、食事コントロールしましょうかね。でも手術まで待ってもらう形になります。早くて、うーん来月半ばだなー。それでもいいですか?」

 

いろいろ不安が襲ってきて、またぐるぐる考えることになった。

でも、この先生なら信用できる!任せたい!というなんとも言い難い確信のようなものが確かにあって、

「どこの病院でもそのくらい待つんですよね? 先生を信用します。お願いします!」

と言いました。

私の考えでは、手術も職人技だと思うんです。外科医って実践を積み上げてきた職人

だからこの職人っぽい先生なら、きっと大丈夫!とピンと思ったので迷いがなくなったんです。

 

その後、肺活量を調べたり、心電図、骨密度、血液検査、尿検査などできる限りの検査をして帰りました。

その間、友人はずっと待っていてくれました。

すごく心強かった。1人でいたらとてもじゃないけど心細かった。

絶対にこう言う大病の重要決断、診察の時はできるだけ付き添いを、信頼できる誰かにお願いすることを強くお勧めします!

冷静な判断ができる視点、心の支えに本当になってくれます。

 

 

ここから長い癌治療生活が始まりました。

 

 

記録は続く

 

 

 

 

脱貨幣への取り組み -能力の交換、できることの交換、物物交換で豊かに-

6月から立礼式茶道を習って、もう4ヶ月経っちゃいました。

茶道のことはまた別投稿で書きたいと思いますが、

その茶道の先生が、既成概念に捉われない、

いい意味で「お茶の先生らしくない」お方で面白いんです。

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先生は、茶道の先生でもあり、ピアノの先生でもあり、小料理屋の店主でもあります。

表向き3つもわらじ履いていて、面白い人だな〜と思っていましたが、

だからこそ、私も堅苦しいイメージしかなかった日本の茶道を

「この先生なら」と感じて習い始めたわけです。

 

 

昨日は稽古後に題名の“脱貨幣”の話になりました。

こう聞いてピンとくる方は是非ご意見伺いたいです。

 

要するに「お金がなければ何もできない」という先入観に捉われている社会、人

また実際「先立つものは金」というシステムを構築した資本主義者を疑問視、抵抗する姿勢です。

 

例えば私の実践例ですが、20代はよく「言語交換」をしました。

わたしは日本語、中国語が話せる、

相手は英語やスペイン語、フランス語、ドイツ語、韓国語etc...
語学を習いたければ、能力を交換して、貨幣などなくても習えます。

 

言語交換だと実際に対面しなくても、オンラインでも可能です。

割とすんなり取り入れられる脱貨幣活動です。

コロナ禍でメインになりつつあるWebでのやりとりが、

もしかして脱貨幣の後押しになるかも?と思いました。

 

先生は、料理ができる、相手は英語の翻訳家

英語と料理の技術交換で、お互いに習いたかったことを自分ができることを提供して習う。

久しぶりに、こういう話ができる人を見つけた!と思いました。

同じようなことを考えて、実際に行動し始めている人がいて、話ができたことが嬉しかった。

 

私はこの貨幣制度、ひいては資本主義社会を大学卒業後社会に出てから割とすぐに疑問視しだしました。

そんなことを口に出すと大体は笑われました。

あとは、「そういう世の中だからしょうがない」とか「面白いこと言うね」とか

でもたった1人、そういうことを真剣に考えている人に出会いました。

それで物々交換のお店事例や、能力交換を実際に導入する自治体の講演会なども行きました。

もう15年ほど前の話です。

 

確かに、現代において貨幣は交換する手段以上のものになって、

価値基準の判断手段、さらに言えば全ての判断基準になっています。

例えば、就職活動で提示される給与額面はまさに能力を金に変換した金額です。

 

全てを一旦金に変換しなければ、物の価値、事の価値、人の価値が判断できないのか?

割と恐ろしい話です。

それほどまでに人の意識に浸透しています。貨幣ってやつは。

 

でもわたしはやっぱり15年以上たった今でも変わらず疑問視します。

自分が持つスキル、能力、出来ることをみんなが出し合って、

需要と供給が成立すれば、貨幣がなくても問題解決したり、生活が豊かになったりしませんか?

そんな夢物語って言われるかもしれない。

確かに貨幣制度が浸透した今の社会や、もうどっぷりお金ありきの考え方に浸っていれば難しいでしょう。

でも事実、実例があります。

小さい活動からお金がなくたって“豊か”になれるってことを、実例を増やしながら主張したいです。